海月記 ── 花笠海月の雑記帖

「くらげしるす」と読みます。

受賞式とシンポジウム

 第5回ニューウエーブ短歌コミュニケーションへ。同時に第5回歌葉新人賞受賞式もありました。今回の受賞者は短歌人会の廣西昌也さん。おめでとうございます。

 プログラムは下記のとおり(案内よりコピペ)。

>> ◆会場 日本出版クラブ会館

>> http://www.shuppan-club.jp/map.html

>>

>> ◆プログラム◆

>> *授賞式 第5回歌葉新人賞受賞者 廣西昌也

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>> *シンポジウム

>> 【鼎談】「短歌は新人に何を求めるか」

>>     荻原裕幸×加藤治郎×穂村弘

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>> 【公開討論】「新人は短歌に何を求めるか」

>>  司会:穂村弘

>>  ※公開討論の部ではご出席者からご意見をいただきながら、

>>   会場全体でのディスカッションを予定しております。

>>   ふるってご参加下さい。

>>

>> *懇親会

 公開討論登壇は、石川美南・ひぐらしひなつ・廣西昌也・生沼義朗。司会は穂村さん。

 会場発言の時、意見を求められてびびりました。こういう場でさされるのは、2005年12月4日※以来。あの時は社外の人は全員しゃべったのでいいとして、どうして私がさされたのかよくわかりません。人様にわかるように何かを書いたりしゃべったりという訓練をまったくしてこなかったので、できません。ムダに時間を使ってしまって申し訳なかったです。自分でも感覚的にしか把握していないので、おおざっぱに言うと歴史に接続することしか考えてないので結社のなかで生きることを選ぶ・・・・・・というようなことをしゃべったつもり。

 こういう発言をすることは場ちがいなのは重々承知してたけれど、現代をまったく把握していないので自分のこと以外にしゃべりようがなく。歴史になっていないことは根本的には興味がないのです。もうすこし書いてみる努力をしてみます。こういう老害みたいな考えがあった(ある)ことはどうしようもない事実で、そしてその考えに基づいたシステムはまだ死んでないと私は思っています。その次がまだ確立していない現在(少なくとも私には信じられるものとして見えていない)、そちらへ行く気はないというか。もちろん全員が私みたいな考えになったらシステムは硬直していくばかりなので、それ以外の動きはあるべきだと思っています。こういう場へ足を運ぶのは参加するためではなく何がおこっているのかを野次馬根性でのぞいてみたいからでしょう。たぶん。

 と、いうようなことを考えさせられた会でした。

 こんな調子で思い出したころに更新します。多少は頻度をあげたいと思っていますがどうなるかわかりません。

※角田純歌集『海境』と資延英樹歌集『抒情装置』の合同批評会