2022年12月
新バイト
半ばから新バイト。私の仕事は単純入力作業です。
C101
コミケは行きました。
https://twitter.com/hanaklage/status/1609432866731216901
C101、「短歌」でヒットするのは6サークル(全部はまわれていません)。小説と両方、みたいなところが多いのかな? ジャンルは、オリジナル、艦娘、とうらぶ、タイバニ、アイマス、Vtuber。
— くらげ (@hanaklage) 2023年1月1日
シャイマス本はなんと壁です。私が短歌の本を買いにアイマスの壁サークルに行く日が来るとは思わなかった。 pic.twitter.com/qC6IbigoJP
酒井佑子さん
26日に酒井佑子さんの訃報。
https://twitter.com/tankajin31/status/1607217324553297921
【訃報】
— 短歌人会 (@tankajin31) 2022年12月26日
本会同人の酒井佑子さんが12月24日に86歳でご逝去されました。
ご葬儀等の詳細は、以下のリンクをご参照下さい。
謹んで、酒井佑子さんのご冥福を会一同、心よりお祈り申し上げます。
https://t.co/zacEaocBbq
酒井さんとはずいぶん前にお別れの挨拶をすでにしている。それでも尊敬する仲間がいなくなるのはかなしい。
お別れの挨拶といっても、何年も前の話。すでにいつのことかわからないけれど、酒井さんが入院されたというのは誌面でも知っていたは、聞いてもいた。
私はほとんど歌会に出ていない。出席した歌会で会って、たまたまエレベータが一緒になったのかなにかで出口あたりでお話した。「おひさしぶり」みたいなことだったと思う。歌会になかなか出られない話などもした。そして別れぎわに「縁起でもないけれど、これが最後になるかもしれないからお話できてよかった」と言ったら「それでいいのよ」と返され、自分も最後かもしれないと思っているみたいなことをおっしゃった。
酒井さんと歌の話はきちんとしたことはない。ちょっとしたやりとりしかしていないけれど、おたがいの作風というか好みは把握しあっていたと思う。これは私だけの話ではなく、私以外の人の歌もよく読まれていたと思う。酒井さんに歌集評も、栞文を書いてほしい/ほしかったという話はチラホラ聞いたものだった。皆とこういうやりとりをしていたのだと思う。
ひとつだけ私だけの思い出をあげると、当時、出たばかりのある同人の歌集をおすすめしたとき、「たぶん酒井さんがお好きだと思います」と言ったら、「私が好きそうな歌だと思う」とおっしゃった。この歌集の感想はうかがっていないので、本当に妥当なおすすめだったのかはわからない。けれども、このことで、(すくなくともこの時点では)おたがいに歌の好みを把握しあっていると思っていると感じた。
酒井さんとは親しくなくても信頼があった。そういう関係だったのだと思うし、思いたい。
写真は2007年5月25日の砂子屋二賞の授賞式式次第。このときの第三回葛原妙子賞の受賞者が酒井さん。
2023年1月
有沢蛍さん
13日に有沢蛍さんの訃報。
https://twitter.com/tankajin31/status/1613823855872860160
訃報/有沢螢さん https://t.co/EDhQUafCiN
— 短歌人会 (@tankajin31) 2023年1月13日
有沢さんとお話するようになったのは、青柳守音さんを介してのこと。青柳さんが読んでいる本の作者さんと有沢さんが友人関係にあるということだった。その作家さんは私も読んでおり、気があうんじゃないかということだった。
有沢さん御自身はJUNEを通過されていない(はず)だけれど、耽美趣味でわたしたちは通じるところがあった。特別親しかったというのではないけれど、同じ文化圏の住人として遇していただいたと思う。
とある同人誌で、「50代以上の腐女子」のコメントが必要だったことがあり、青柳さんと有沢さんを紹介したこともあった。
有沢さんが倒れてからは連絡していなかった。連絡がつく状態かどうかわからなかったし、本当に大切な人とすごすべきと思うからだ。
有沢さんとはそのままになってしまって、亡くなられたことが今でもなんだか信じられない。
写真は2007年8月18日開催の有沢さんの『朱を奪ふ』批評会の花束。このとき、酒井さんが受付チームに入っていた。
短歌をつづけていくということは、結社にいるということは死者と関わっていくことでもある。
訃報がつづくこともある。2000年に1月26日に永井さんが亡くなって、4月10日に仙波さんが亡くなった。歳をとったせいか、あのときのような感情の乱れはないけれど、かなしいことにはかわりない。
2023年2月
ドラマ
ドラマで短歌、というか歌をつくっている人が登場するらしいというのは聞いていました(その後、ちゃんと歌集も出した模様)。
編集者について「ははーん」と思うところがあったのでtweet。
https://twitter.com/hanaklage/status/1625465932327055362
ドラマは見てませんが、「リュー北條」のネタ元はこれでしょうね。https://t.co/fdTZUYd0gm
— くらげ (@hanaklage) 2023年2月14日
https://twitter.com/hanaklage/status/1625470289374244872
われわれは「隆」を「Ryu」と読むことにすでに慣れてしまっている
— くらげ (@hanaklage) 2023年2月14日
2023年3月
確定申告
今月こそ月例を出すつもりが、確定申告しているあいだに〆切がすぎていました……。
臨時バイト
今月でバイト終了のはずが、5月まで延長に。いい職場だと思うのですが、ひさびさのまともな通勤がつらい。電車に30分ほど乗っているだけなので、たいした負荷ではないはずなのだけど。昔、ダブルワーク時代に毎日3時間くらい電車に乗っていましたが、あのころの体力配分が謎。
通勤についてはともかく、評価していただけたのはありがたいことです。
多田零さん
https://twitter.com/udahiro/status/1636507703945359360
「短歌人」3月号で吉浦玲子さんの〈多田零も川本浩美も世にをらず梅酒の梅を食みつつ泣きぬ〉が目に止まった。「泣きぬ」が圧倒的に良い。
— うだひろ (@udahiro) 2023年3月16日
川本さんのお子さん、会ったことはないけど何歳になったんだろう。まだ小学生かな。多田さんの大阪の批評会、出席したな。多田さん、チャイナドレスだったな。
多田零さんについての歌。
川本さん、多田さん、そして歌の作者は吉浦さんとなると同人誌「らせん」のことを想起せずにはいられない(メンバー変更あり)。多田さんの会では三人ともいらしていた。
多田さんとは関西歌会で何度か御一緒している。歌集の批評会も参加した。私はヅカファン時代によく関西へ行っていたので、ついでに関西歌会へ参加することもあったのでした。あの歌会のだらだらとした飲みの時間を何度か共有しました。
ということで、当時の日記を再公開。
https://twitter.com/hanaklage/status/1636963343637565441
2003年5月18日(日) 晴 『茉莉花のために』の会 - 海月記 ── 花笠海月の雑記帖 https://t.co/FEpSO1N03G
— くらげ (@hanaklage) 2023年3月18日
保存していた当時の日記から再アップ。今と文体がちがっていておちつきませんが、そのままです。
2003年5月18日(日) 晴 『茉莉花のために』の会 https://hanaklage.hatenablog.com/entry/20030518/1053183600
備忘用。
https://twitter.com/hanaklage/status/1636976192543928320
フジワラさんの日記だと2003年5月18日は過去ログ15。もちろん多田さんの批評会に参加したことが書かれています。https://t.co/WZrMcISKP7
— くらげ (@hanaklage) 2023年3月18日
縄
禍福というやつなのか、わるいこともあり。
体調不良というか、以前からの病気関連の後遺症のもののようなものの兆候出ました。ちょうど通院が入っていたのでそこまで待つことに。
実際に体がどうこうではなく、あきらかに異常があるのになにもできないというのが精神にきます。